昔の僕はプライドばかりが高くて、
自分が傷付かないように守ってばかりでした。
余計なプライドを持ってる人の特徴には、
自分が傷付いてしまうことを怖れる・・・
という心理があるとよく言われます。
自分を守ることを優先してしまうんですね。
僕も自分を守ることに必死でそればかり考えてきて、
ずっとそのことに悩んで生きてきましたが、
じゃあプライドを捨てることが本当に大切なのか?
とある時に考えたのですが、
必ずしもそうだとは限らないなと思ったのです。
確かにプライドを捨てることは大事かもしれない。
けど一見すると余計なものだとしても、
人生の目的の足枷となるものだけでいいんじゃないか?
ということを思ったんですね。
つまり捨てるべきものを見極めるということです。
今回は、プライドを捨てることの本当の意味として、
僕自身の人生が変わった経験からお伝えします。
これを読んで頂くことで、
プライドに対する意味を違った側面から捉えられ、
プライドの取捨選択を考えられるようになります。
前回は、僕自身が実際に部屋の95%以上の物を捨てて、
それによって人生が変わったことについてお伝えしました。
スポンサーリンク
プライドを捨てることは大事だと分かってるけど・・・
「余計なプライドは捨てるべきだ!」
「ほとんどのプライドは不要なものだ!」
「プライドはあっても邪魔なだけ」
このようにプライドというものは、
ほとんどの人が余計なものだと言います。
確かにその通りなのかもしれません。
確かにその通りなんだけど、
分かっていても捨てることができない・・・
というのが正直なところではないでしょうか。
例えば職場の人間と問題が起こったとします。
冷静に考えれば素直になるべきと分かってても、
どうしても気持ちを割り切ることができない・・・
あなたもそんな経験をしたことがありませんか?
プライドを捨てれば上手くいくかもしれません。
妥協の選択で上手く立ち回れるかもしれません。
けど気持ちって簡単にはコントロールできません。
自分の気持ちって無視することはできないのです。
人間は人生という長い時間を生きていく中で、
こうした割り切れないことって必ず起こります。
世の中の誰もが頭では、
プライドを捨てることは大事だと分かってます。
けど誰もが完璧に捨てることなんてできません。
それにこのことを考えてみてほしいんです。
もしプライドが捨てることが「善」だとすれば、
捨てられない場合は「悪」になるのでしょうか。
じゃあ捨てられなかったとしたら、
罪悪感を抱いて生きないといけないのでしょうか。
捨てることだけが本当に大切なのでしょうか。
そもそもプライドって、
自分が傷付きたくないという思いがあるわけです。
それって違う側面から見てみると、
自分を”大切にしたい”と思っているからです。
確かにそれで自分を甘やかすのは、
それはそれで問題なのかもしれません。
けどもう少しプライドを捨てることに対して、
見方を変えることも人生を目的の達成においては、
少し考えておくべきことでもあるのです。
スポンサーリンク
自分の固定概念・・・それこそが不要なプライドだった
僕は人と関わることが今でも苦手意識があり、
極少数の友人や知人としか関りを持っていません。
他人に極端に気を使ってしまうので、
勝手に疲れてしまうというか、慣れないんですね。
だったら一人で過ごす方がラクに感じるわけです。
けど、こんなことを言ってしまうと、
「それって人としてどうなの?」
「もっと積極的になるべきじゃないの?」
「社会で生きる以上は必要なことでしょ?」
などの意見もあるかもしれません。
確かにそう言われるとその通りかもしれません。
だけど、じゃあそれで自分に無理して、
一生懸命に多くの人と接するように努力して、
その先の未来は、本当に心から納得できるのか?
と自分に問い掛けてみた時、
必ずしもそうではないなと思ったんですね。
つまり自分の本当のなりたいと思っている人生と、
合致している努力ではないということなんです。
そして更にそこで気付いたこととして、
世間一般に言われていることを鵜呑みにしてしまい、
本当の自分は何を求めてるのかを見失ってまで、
世間に合わせる固定概念こそ捨てるべきじゃないか?
これこそ本当に考えるべきことだと思ったわけです。
時代は価値観の多様化が進んでいると言われる一方で、
世間一般の常識に従うべきという風習があります。
会社で働いていれば、
人と違う意見を主張すれば嫌われてしまうなど、
足並みを揃えない社員は否定されがちです。
そんな中で、じゃあ何が自分にとっての真実で、
何が本当に捨てるべきプライドなのかを考えた時、
自分の本音に素直に生きれないプライドこそ捨てるべき
それ以外のプライドは、
他人から見れば捨てた方がいいかもしれませんが、
必要以上にエネルギーを注ぐこともないんじゃないか?
ということが大切だと思ったわけなんです。
何でもプライドを捨てればいいのではなく、
自分の本音に素直に生きれない固定概念こそが、
捨てるべき本当の意味になるのです。
貫くべき本当のプライドとは自分の本音だと気付いた
もちろん、これは僕個人の意見であり、
共感して頂ける部分だけ採用してもらえればと思います。
けど僕は会社で、もともと好きでもない仕事をして、
夜勤や休日出勤や残業を文句を言わずにしまくって、
その上そこで働いて将来全く明るいわけでもないのに、
世間一般の常識に捉われて、その場所にこだわり続け、
そんな場所で歯を食いしばって耐える必要がるのか?
という自分の中の矛盾がずっと存在してたのです。
特に直属の上司である班長とはそりが合いませんでした。
なので最初の頃は言い合いになることもありました。
そこで自分の態度を改めようと、
自分の余計なプライドを捨てることを考えました。
けど態度を変えたことで良くなるどころか、
班長のパワハラは激化していきました。
自分が折れて態度を改めたところで、
いくら余計だからとプライドを捨てたところで、
そもそもが自分と合っていない場所だったら、
結局は捨てた分だけ苦しむことになりました。
そこで何でも捨てればいいわけじゃないと気付き、
自分が本当はどんな生き方をしたいと思ってるのか、
自分の本音の足枷となるものこそ捨てるべき
ということに気付いたんですね。
それ以外は無理に捨てる必要はないわけです。
つまり、捨てるべきプライドの取捨選択です。
僕はこだわりまくって人生を大きく変えた
本日のまとめ:
- プライドとは自分を大切にしたいという側面がある
- 世間に合わせる固定概念こそ捨てるべきプライド
- 自分の本音を中心にプライドを取捨選択する
僕は自由に生きたいという本音があり、
それを実現するために労働という常識を捨てました。
副業時代の時も、
夜は眠るものなんて誰が決めんだろうと疑問を抱き、
夕方でも眠くなったら眠って深夜に作業をしました。
ある意味昼夜逆転のような生活ではありましたが、
作業は集中できたし、正解だったと今でも思います。
本業では必要以上にエネルギーを使わないと決め、
残業、休日出勤、夜勤、苦手な業務は断りました。
こうして自分の本音に素直に生きることを決め、
その生き方の足枷となるプライドこそ捨てていき、
ある意味こだわりまくった生き方をしていきました。
けどそれによって生き方は180度変わり、
サラリーマン時代には夢だった独立も果たせました。
そして今ももっと理想の生き方にこだわりまくって、
投資やマーケティングなどの勉強をしています。
ということで今回は、
プライドの捨てることの本当の意味というテーマで、
僕の経験を通したお話をさせて頂きました。
途中でお伝えした通り、
考え方のひとつとして参考にして頂ければと思います。
ぜひプライドに関して自分と向き合ってみて下さい。
お読み頂きましてありがとうございます。
関連記事:
スポンサーリンク