「本当の友達って何だろう・・・」
「普通の友達と何が違うんだろう?」
友達の意味って何だか曖昧だと思いませんか?
普通の友達ではなく「本当」の言葉が示す通り、
もっと深い繋がりの人間関係のことを言います。
けど友達と思ってたのに裏切られてしまったり、
そこまでじゃないにしても不振に感じたりと、
人間関係って複雑になることが多々あります。
友達の定義って人それぞれではあるんですが、
けど友情なんて本当はシンプルなんです。
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一生涯の本当の友達が欲しい
結論から言ってしまうと、
裏切られても許せるくらい信頼できる人です。
しかしそんな友達なんて自分にできるのか、
どこに行けば出会えるのか分からないですよね。
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本当の友達とは2つの要素で決まる
本当の友達って何なのか?
それを決める要素は以下の2つになります。
- 価値観
- 距離感
僕達には人生で様々な出会いがありますよね。
その中で価値観の合う人は友達になりやすくて、
時間の経過と共にお互いの理解度は深まります。
そうなるとお互いの心地の良い距離感を理解し、
更に信頼度は深まり本当の友達になれます。
言い換えると親友とか竹馬の友とかですね。
普通の友達との明確な違いがあるんですが、
それはごく自然に信頼関係を深めている
ということなんですね。
例えば仕事上の関係で上手くやろうと思った時、
自分の中で妥協とか我慢する部分が出てきて、
何となく関わりに難さを感じてしまうものです。
「悪い人ではないんだけどなぁ・・・」
「彼の〇〇の部分がどうもなぁ・・・」
こんな感じで嫌いではないんだけど、
どうもしっくりこない感じがするわけです。
ですが本当の友達レベルの次元になっていくと、
気にならなかったり本人が気付いて修正したり、
自然とお互いが帳尻を合わせていくんですね。
たとえ深夜でも電話を掛けられるか
また本当の友達まで信頼が高まれば、
深夜の時間帯でも遠慮なく誘うことも出来ます。
本当の友達とはいつでも気軽に会える関係です。
遠慮なくと言うと少し誤解されそうですが、
要するにお互いのことを深く理解しているので、
何となくタイミング的なものが分かるんですね。
A「もしもし、今寝てた?」
B「ああ、寝ようかなって感じかな」
A「そうなんだ、大丈夫なら今から出れる?」
B「いいよ、じゃあどこで会おうか?」
こんな感じになりやすいわけです。
本当の友達だとポジティブになりやすいので、
楽しそうかもって期待が膨らむわけです。
けど普通の友達レベルの場合だと、
「ああ面倒臭いなぁ・・・」
「こんな時間に掛けてくんなよ!」
「失礼だな、何時だと思ってんだ!」
こんな感じになっていく傾向が強いです。
けど普通の友達レベルだと気を遣ってしまうので、
「遅いから止めておこうかな」
て感じで気軽には誘えないかと思います。
どうも本当の友達と違って遠慮がありますし、
やはり価値観も距離感もそこそこなわけです。
流れに乗るかのように信頼が深まる
冒頭でもお伝えしたように、
本当の友達って何かというと、
裏切られても許せるくらい信頼できる人です。
何故ならこの人ならそれでも構わないと、
自分の中で覚悟を持ってるからなんですね。
要するに自分の保身を手放しているんです。
本来なら自分のことが大切なわけで、
頼まれ事も自分の可能な範囲で承諾するし、
それを越えた事は断ってしまうはずです。
ところが本当の友達においては、
「何とかしてあげたい!」
「一緒じゃなきゃ嫌なんだ!」
「何としても自分が支える!」
こうした思いが優先するものなんですね。
これって何だか仲の良いカップルみたいですが、
人間の心理なので割と一緒の部分があるんです。
だって家族にしても同じじゃないですか。
ずっと一緒に過ごしてきたのに事故でもしたら、
絶対に何とかして助けたいって思いませんか?
亡くなるとか考えるとショックですよね。
そんなシンプルなものではないでしょうか。
友達を作るのに理屈なんて関係ないはずです。
楽しいから、遊びたいから、一緒にいたいから、
色々書きましたが人間は感情の生き物なので、
シンプルにその人が好きか嫌いかなだけです。
大人になると友達が出来なくなる理由
だけど大人になると友達ってできないものですね。
何故なら必要もないのに複雑に考えてしまうからです。
理屈で考える習慣が身についてしまってるからです。
例えば一度よく考えてから決めるって大切ですよね。
世間の常識として考えて行動することが求められます。
だけどここで少し問題があるんです。
確かに考えることはとても重要ではあるんですが、
今の人間関係に考え過ぎて疲れてませんか?
今回は本当の友達って何かをテーマにして、
人間関係の意味を考えてみたいと思います。
付加価値で繋がってる関係は要らない
僕は友達と会う時によく車で向かえに行ってました。
それはそうしなければ会ってくれないと思ってたからです。
そして過去に実際にそうなってしまうきっかけがありました。
自分「こっちまで自力で来れんのん?」
友達「無理じゃね、今日はやめとこうか」
自分「ほんじゃ向かえに行けばいいんか?」
友達「それなら大丈夫よ!」
これって付加価値がなければ合ってくれない・・・
という悲しくもアンバランスな人間関係だったんですね。
このやりとりには「やめておこうか」と言うことで、
相手を利用しようとする駆け引きが行われてました。
最初は些細なことだったので仕方ないと思ってました。
本当にダメになるのが嫌だったので我慢してましたが、
次第に自分の中の不満は大きくなっていきました。
向かえに行くという送迎スタイルが当たり前になると、
相手は利用してやろうという考えが先行してしまいます。
また面白いことにそういう友達ばかりになるのです。
いつの間にか僕の周辺には僕が向かえに行かないと、
会ってくれないような連中ばかりになっていました。
我慢の関係はやがて爆発してしまう
なので段々と我慢の限界が近づき、
僕はついにそいつらにキレてしまいました。
そこからは付加価値を付けないと付き合わないヤツとは、
一切の付き合いを根絶しました。
そんな余計な付加価値を付けなくても、
快く関わってくれるのが本当の友達なのは間違いありません。
わざわざ付加価値を付けなくても会ってくれる友達というのは、
不思議なことに感謝の気持ちが溢れてくるようになるんです。
けどそんな付加価値を付けないと付き合ってくれないヤツを、
ダメなヤツだと否定するのは簡単ですが成長はできません。
そして結局は原因は自分の中にあったと気付かされたのです。
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本当の友達とは存在そのもの認め合う
本当の友達とは付加価値を付けなくても会ってくれます。
そして損得勘定なしに付き合ってくれるので、
そうした人と過ごすと感謝の気持ちが湧いてきます。
- 一緒にいると面白いから
- その人と会話をしたいから
- 会話をするとホッとさせてくれる
- やっぱり話ができてよかった
- 今日は話ができてよかったな
- 本当、友達って有難いな
- また同じ時間を過ごしたいな
こんな感情が出てくるのが本当の友達です。
それは理屈ではなく気持ちで感じるものだと思います。
僕はその中でも強く感じたことがあるんですが、
「よくこんなわがままな自分と関わってくれるなぁ」
そんな風に思うことがあります。
結構、傍若無人にわがままに振る舞ってきたのに、
それでも会おうとしてくれるのには不思議に思えます。
けどそれは存在そのものを受け入れてくれているからです。
たとえばカップルのやりとりをみて、
「大丈夫か!?」と思えるやりとりを見かけるのですが、
本人同士はそれでコミュニケーションが成立していたりします。
お互いに存在そのものを受け入れているからこそ、
アンバランスさが絶妙なバランスで成立するんだと思います。
人の出会いは便器だ!
これはある友人が語っていたことです。
そこから僕の頭の中で離れなくなってしまったのですが、
人の出会いは隕石が便器に落下するくらいの奇跡!
と言われるほどの確率らしいのです。
つまり初めて知り合った人達は皆便器なのです。笑
便器と言ってしまうとかなりの語弊になるかもしれませんが^^
本当の友達の出会いはおちょこ
だけど子供の頃にワイワイ遊んだ友達も便器なら、
結婚してソファでだらしなく寝ている旦那との出会いも便器で、
居酒屋で気になった可愛い子に話しかけるのも便器なのです。
全部、便器!世の中、便器!
いや、あくまでも友人の言ってたことです。笑
そんなことはさておいて、そんな奇跡の出会いから、
友達として付き合い続けられる人はもっと少ないですよね。
便器どころか酒を注ぐおちょこぐらいではないでしょうか。
つまり出会いが便器なら、本当の友達はおちょこです。
お酒を飲む時に使う小さな器です。
要はそれだけ奇跡なことだと言うことなのです。
そう思うと出会いや友達の存在は有難く感じないでしょうか。
そう言えば、大阪の量子力学セミナーで学んだことですが、
- 目の前の人が自分の恋人だと思って接する
- 目の前の人が余命数ヶ月だと思って接する
このような意識で接することが大切だと教わりました。
これは誰とでも簡単にできるというわけではありませんが、
実際に行動するのでなく意識としてことだと思います。
だけどそんな接し方をされたら嫌な感じはしないですね。
確かめる方法を探すのはナンセンス
「この人は本当の友達なんだろうか?」
「この人は信じても大丈夫かな?」
「裏切られた経験があるから不安・・・」
こんな風に本当の友達なのかどうか、
不安に感じるケースってあるかと思います。
確かめたくなるのも無理はないかと思います。
けどここでハッキリと言えることがあります。
その人に対して不安や疑問を感じている時点で、
その人は本当の友達ではありません。
というのも信用できる人というのは、
既に冒頭の一番最初でも答えは言ってますが、
裏切られても許せるくらい信頼できる人。
という明確な答えがあるからです。
疑心暗鬼になってしまうということは、
その時点で信頼がおけないからなんですね。
確かめることを考える時点で違うわけです。
本当の友達がいない人の本質的な特徴
本当の友達がいない人の原因・・・
それは外側に答えを求めているからです。
動画やブログなどで沢山語られています。
勿論、それらも有益な情報かと思います。
大切なことなので繰り返しますが、
本当の友達とは裏切られても許せる人です。
そのくらい信頼できるかどうかなんですね。
だとするとそんな人どう探せばいいのか?
どこに行けばそんな人が存在するのか?
このような疑問が浮かんでくるかと思います。
けどそれを一生懸命探しても無理なんです。
何故そんなことが言えるのか?
察しの良い方ならお気付きかと思いますが、
大切なのはたとえ裏切られたとしても許す、
この自分の中で覚悟を決めておくこと。
これが前提にあってできることなんです。
この項目でも繰り返して言うことになりますが、
この自分に対する覚悟ってかなり重要なんです。
何故なら手に入れたいなら先に自分から差し出す。
そうしないと根本的に無理になるからなんです。
例えば副業で収入を得たいとします。
すると作業の為に時間を確保する必要があります。
そこで今まで通りスマホゲームなんかやってると、
時間を奪われて何も得られないままになるんです。
なのでスマホゲームを止めなければいけません。
これが先に差し出すということの意味なんです。
言葉を変えると先にリスクをとることです。
ここまで聞くと厳しく感じるかもしれませんが、
決してそうではなく心の中で持っておくこと。
その意識の元で日常を生きていくことで、
それは自然と出会えるものなんですね。
面白いと感じればその人と付き合えばいい
いろいろとお伝えしてきましたが結局のところ、
面白いと感じた人と付き合えばいいのではないでしょうか。
面白いと感じるにもいろんな感じ方があると思います。
だけど余計なことを考えて接することなく、
その人そのものを面白いと感じるかどうか。
そうした人との付き合いとは、
いつまでも自分の記憶に残り続けるものです。
冒頭の本当の友達とはいつでも連絡してすぐ会える関係とは、
自分の記憶の中にずっと残り続ける存在のことです。
そしてその人に会いたいと思えること。
また記憶に残るような会いたくない人っていますよね。
僕もどちらかと言うとそっちの方が多いです。
それは生き方も違えば価値観も違うので当然のです。
けど自分とは違うからこそ”そういうもの”だと思えば、
人に対する見方も変わってくるのかもしれません。
常に考え方も感じ方も一緒じゃないといけないとか、
自分とは違う人間を嫌っても結局自分が苦しいだけです。
そもそも価値観が近いか遠いかの違いでしかないのです。
だったら難しく考えず、ただ面白いと感じる人と付き合えばいい。
本当の友達とはそんなものではないかと思います。
まだそんな友達とまだ出会えていないという場合、
それはまだそうした時期ではないのかもしれません。
そして今回の内容と関わりのある記事ですが、
本当の友達の「友情」の部分をテーマにして、
与えるという視点からの内容を書いてみました。
絆といえる深い友情を築くためには、
与える姿勢が大切なのでぜひご参考下さい。
また社会人になると人脈が大切だと言われますが、
実は人脈を築こうとする人のほとんどは失敗して、
逆に信頼を失うという失態を招くことが多いです。
そこで本当に意識すべき人脈の本質について、
どこに目を向けるべきかを記事にしました。
実は意外なところに答えがあるんですが、
深い内容となってますのでぜひご参考下さい。
好きな人と本音で付き合えることを祈っています。
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