出会いにはツインソウルと呼ばれるような、
まるで昔に出会ってたような懐かしい感じがするとか、
はじめて出会ったのに既にどこかで知り合ってたかのような、
通常と違って異次元的な出会いをすることもあります。
それを運命の出会いなんて呼んだりするそうです。
普通、僕達ははじめて出会う人に対しては、
ドキドキと緊張したり、何を話そうか一生懸命に頭で思考したり、
あるいはは特に何もピンとくることなく淡々と接したり、
とりわけ特別な感覚に見舞われることはありません。
だけど「もしかしてさっきのは!?」
ってふと振り返ると運命だったかもって経験がないでしょうか。
ただ気付かなかったことで最高の出会いを逃したくはないものですね。
そのためには、まず覚醒とは何かを知ることが大切なのです。
(前回のソウルメイトとは?運命の意味を考える5つのことでは、
ソウルメイトとはどのような相手で運命とどんな関係があるのか、
ツインソウルやツインフレームとの違いについてお伝えしました。)
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そもそも覚醒とはどういうこと?
人が覚醒するとはどういうことなのでしょう。
調べてみると以下のような意味なのだそうです。
1、目を覚ますこと。目が覚めること。「昏睡状態から―する」
2、迷いからさめ、過ちに気づくこと。
引用:goo国語辞書
なのでツインソウルと出会った瞬間に、
冒頭でお伝えしたような不思議な感覚になり、
その時に味わう感覚が「覚醒」ということになります。
つまり出会った瞬間に目覚めるとうことなのです。
なのでそれまでは普通に生活を送りますが、
運命の人と出会うと今までの生活を失いそうで怖いなど、
潜在的に思っていると運命の出会いは見え難くなります。
ではツインソウルとは何なのかということですが、
ツインソウルの特徴7つ-運命の人と出会うシンプルな方法にて、
お伝えしていますので、ぜひ参考にしてみて下さい。
ここでは詳細については割合させていただきます。
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訪れる試練を乗り越えて覚醒は起こる
あなたは自分の運命を知りたいでしょうか。
もし、知ってしまったら怖いって感じがありませんか?
先を知らないからこそ良いということもあります。
これは潜在的に思っていることなので、
知りたいと思っても思い通りにいかなかったりします。
運命の人が分かってしまうと複雑な気持ちもあったりします。
ツインソウルには試練があるなどと言われたりします。
それは相手が既婚者とか、恋人がいるとか、偽ツインソウルとか、
または年齢差とか、家柄や仕事上の壁など色々とありますが、
試練とは自分の本音と向き合うことです。
たったそれだけのことです。
なぜなら本音で生きると魂が喜ぶからです。
お伝えしてますが僕達は素直に生きることが難しいのです。
たとえば友達同士でケンカをしたとします。
意地を貼って冷たく接するのって苦しかったりしますね。
だけど仲直りしようと心を開くとすごく楽に感じませんか?
これが自分の本音と向き合うということなのです。
そして本音と向き合うことは自分の運命を変えることでもあります。
だからと言って何も特別なことなんてひとつもありません。
覚醒してその後はそうなるのか
では覚醒してその後はどうなるのでしょうか。
2人でずっとハッピーなまま生きていくことができるのでしょうか。
だけど、そんなことは現実には難しいかもしれません。
普通に考えてどの夫婦関係も常に温和とは限りません。
人生には山もあれば谷もあると言われているように、
人間関係にはいろんな出来事が身に降り掛かってきます。
つまり、その一つひとつが「試練」ということなのです。
なのでパートナーシップはいつだって試練の連続です。
明日、何が起こるかなんて誰にも分からないですよね。
占い師にだって100%の予言は非常に難しいはずです。
大抵は予定や想定くらいにしか分からないはずです。
たとえば明日は会議があるというのは予定ですし、
もしかしたらあの人が来るかもしれないだと想定です。
具体的に何がどうなるなんて100%誰にも分かりません。
そこはツインソウルだからと特別なことはありません。
強いて言えばお互いに分かり合おうとする気持ちではないでしょうか。
日頃から苦しいことも楽しいことも同じ時間や同じ場所で、
感情を共有し合うことで絆が深まるのです。
ツインソウルとはお互いに価値観が非常に近いのです。
なのでお互いに同じ感情を共有し合える関係にあると言えます。
だからこそ、覚醒後も2人で試練を乗り越えていけるのです。
究極の愛とは手放すことができるということ
僕がまだ幼稚園だった頃、
このような話を聞いたことがありました。
ある街に2人の女性が住んでいました。
そしてその2人の女性には互いに1人の子どもがいました。
だけど子供とは生き別れてずっと探し続けてました。
ある日、生き別れたと思われる子供と再会しました。
2人の女性は互いに自分の子供だと言い合っていました。
遂に1人が子供の手を引っ張って家に連れ帰ろうとしました。
しかし、もう1人の女性も子供のもう片方の手を引っ張りました。
「痛い、痛いよ!」
子供が泣きながら訴えてきました。
その瞬間、後に引っ張っていた女性は手を放してしまいました。
子供の痛がる顔を見て苦しくなって手を放したのです。
いかがでしょうか。
この物語は互いに子供を連れて帰りたいというエゴがあり、
だけど、子供の痛がる顔を見てエゴを手放したという話です。
その後の続きはどうなったのかについては忘れてしまいましたが、
確かその子供は手放した女性の元へと行ったのは覚えています。
自分のエゴや怖れなどの執着に捉われていると、
本当に得たいものとは巡り合えないように感じます。
エゴや怖れの感情が見え難くしてしまっているからです。
- 自分が執着しているものは何だろうか
- それを手放してみると自分はどうなれるだろうか
これが「魂の浄化」と言われるような、
試練を乗り越えて成長していく先にあるものであり、
または「統合」と言われるような自分の心理的な制限を外し、
心の足枷を外した先にあるものではないでしょうか。
もちろん、いきなりこのような人間にはなれないものですね。
それに人間なのでエゴや怖れの気持ちは100%ゼロにはできません。
だけどあえて手放すことで清々しくなれることってありませんか?
その瞬間って魂が浄化されたような軽い気持ちになれたりします。
少しだけ、このような意識も持ってみてはいかがでしょうか。
ひとつの選択肢として生きやすくもなるかもしれません。
自分の本音に素直になれることを祈っています。
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