あなたは将来の自分に不安を抱えていませんか?
自分の生き方がわからないというのは、
多くの人が抱えてる悩みのひとつかもしれません。
人間関係、健康、お金、将来への不安…
僕たちはこのような悩みを漠然と常に抱えて生きているのかもしれません。
そして、
「これから先の自分の将来、どうすればいいだろう…」
と、自分の生き方がわからないことに悩むのかもしれません。
では、どうすれば漠然と抱える悩みを解消することができるのでしょうか。
それには、もの事の判断基準と自分のこだわりを捨てることが必要なのかもしれません。
あなたは自分の生き方が見つかったら、どうなれるでしょうか?
自分の生き方が見つかると人生は変わるのかもしれません。
それにはたくさんの試練があるように思います。
「ああ、ここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!」
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、
貴方がたははじめて心を安んずる事ができるのだろう。
夏目漱石
(前回の記事、断捨離効果-恋愛で関係を深めるための考え方)
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がんばっても報われなかった3年間
僕は2014年3月末日まで、
とある製造業で機械を管理する仕事をしていました。
「しんどい、毎日がツライ…」
毎月90時間以上の時間外勤務、
苦手な夜勤を無理してフラつきながら暗い階段を上っていた日々…
人間関係も悪く心に全く余裕がない状態、
人と関わることを極端に避けるようになっていました。
ここまで苦しい思いをしながら3年間もムダに過ごしてしまった理由は、
僕自身の判断基準を外側に向けていたことが原因だったかもしれません。
どうしてこの環境にしがみついていたのか。
「仕事を辞めたら、生きていくことができなくなるかもしれない」
僕は自分の幸せを放棄して、今の生活を維持することを選択していました。
細く切れかかった糸を必死に守るようにこの生活を続けていました。
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自分の生き方がわからない理由は?
このように自分が苦しいと感じいるにも関わらず
ずっと今の環境にしがみついているということは、
自分の生き方を見つけることを放棄しているのかもしれません。
ですが、
どうやら自分の生き方が合わない場合、
どこかで、「プツン!」っと糸が切れてしまうようです。
なぜなのでしょう。
自分の生き方が分からないというのは、
自分が本当はどうなりたいかを知って素直に向かっていかないから
なのかもしれません。
しかし、分かっていても向かっていけないことの理由としては、
僕のように、
「仕事を辞めたら、生きていくことができなくなるかもしれない」
という今の生活を失う「恐れ」が原因であると言えそうです。
僕たちは今を失うことを「恐れ」ているようです。
恐れからくる判断基準
僕たちは何かを考え、もの事を行うときには、
必ず自分の判断基準を元にしているようです。
あなたは何か欲しいものがあるとき、何を基準に考えますか?
「あいつよりカッコよく見えるかもしれない」
「これを持てばいろんな人から一目置かれるようになる」
このように、
良く見られたいという「見栄」を判断基準にしていることは
意識的にも無意識的にもよくあることかもしれません。
このような場合の原因も、
・カッコよくならないと、誰にも相手にしてもらえない。
・注目を浴びるようなモノを持っていないと、温もりや愛情をもらえない。
という、心の奥にひっそりと覗いている「恐れ」なのかもしれません。
つまり、
「見栄」という他人に評価してもらいたい認めてもらいたいという
自分の心の外側に判断基準を定めてしまうと、
生き方が分からない状態へとなってしまっていると言えそうです。
「今の人間関係を失うかもしれない、今の自分を失うかもしれない…」
それはまるで、
「仕事を辞めたら、生きていくことができなくなるかもしれない」
という、以前の僕の生き方と同じなのかもしれません。
本当の自分の生き方をするための「捨てる」技術
自分の生き方を見つけるためには、
他人に認められたいという外側の判断基準から、
自分がどんなときに幸せを感じるのか?どんなときに楽しいと感じるのか?
という、
自分が心地良く感じることができる「感覚」
に、基準を持つことが大切になるようです。
そこに意識をむけて素直に向かって歩いていくということは、
同時に、
今までの判断基準を「捨てる」ということになります。
今まで守ってきたものを「捨てる」ことは、
失うことへの「恐れ」を感じてしまい、
とても手放し難いこともあるようです。
シンプルライフでは、
それを部屋の中の不要なモノを「捨てる」ことを通して、
自分の生き方を見つける方法と考えられます。
自分らしい部屋にするなら模様替えや装飾よりも「捨てる」こと。
それはつまり、
自分らしい生き方をするなら何かをプラスすることよりも執着を「捨てる」こと。
と、同じことが言えるようです。
自分の生き方がわからない日々を卒業できることを祈っています。
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