自分の本音が言えない-自分を素直に表現するには?

 

家族や友人や恋人などの親しい関係で、

自分の本音が言えないことってありませんか?

変に気を使ってあとになって悶々として後悔したり、

ばつが悪いというか、あとに尾を引くような気持ちになりますね。

 

本音が言えないときってどのような状態でしょうか。

自分が信じていることや大切に思っていることを相手に伝えると、

それを否定されて傷ついてしまうことの怖れや、

本当の自分とは違うんだけどよく見せたいという見栄。

つまり自分の本音が言えないのは、

 

  • 怖れ
  • 見栄

 

この2つが関係しているように思います。

その中でも、怖れから自分を守りたい気持ちは大きいです。

誰だって自分が傷つくことは避けて通りたいものですね。

では自分を素直に表現するにはどうすればいいのでしょうか。

 

(前回は、自分の運命を変えるために気をつけたい7つの常識にて、

自分の運命を変えるには世の中の常識に疑問を持つことが大切ですが、

そのために具体的になにを気をつけるべきかをお伝えしました。)

 

 

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近い関係ほど自分の本音が言えない

 

僕は中学生のころに1年間ほど野球部に所属してました。

当時は退屈だった卓球部から野球部に編入することができて、

毎日、放課後になるのが楽しみで仕方がありませんでした。

 

その日の最後の授業が終了に近づいていくにつれて、

胸の奥からワクワクするようなドキドキするような感覚が湧き上がり、

終了のチャイムの解放感とこれから楽しいことがはじまる嬉しさが混同し、

そして部室のボールやグローブのにおいや気の合う仲間たち、

野球部の練習が唯一、学校に行く楽しみでした。

 

いつもの外野でのキャッチボールの練習のときだったのですが、

ちょうど太陽の光りを正面に木が重なって見えにくい日がありました。

 

「これはちょっとヤバいんじゃないか・・・」

 

そのときに感じた自分の勘は見事に的中してしまいました。

僕がボールを受けるときに眩しいと思いながら手をかざしていると、

いつの間にか目の前までボールがせまっていたのです。

そして左目に直撃をくらってしまいました。

 

左目は内出血して完全に視界を失ってしまいました。

野球部の仲間に伝えて、その日は帰ることになりました。

当時、僕の家では母親より父親が先に仕事から帰ってきてました。

だけど父親には言えず1時間後に帰ってきた母親に伝えました。

そして病院に行って治療を施してもらいました。

 

 

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近ければ近い関係ほど自分中心になってしまう

 

当時、父親には何を期待してもムダだと決めてました。

よく幼い子供が親にオモチャをねだる光景をみたことはありませんか?

僕も2~3歳くらいだったころにデパートのオモチャを眺めていると、

そのときの父親の態度にひどく傷ついたのを今でも覚えています。

そのときから父親に心が開けない自分がより強化されました。

 

あまりにも近すぎて当たりまえの関係になると、

つい自分を守りたいという自分中心の考えになりがちです。

たった些細な「ありがとう」すら言いにくいと感じたりしませんか?

反応が薄かったり、からかわれたりしたら嫌になってしまいますね。

もう二度と「ありがとう」なんて言えなくなってしまいます。

 

あかの他人なら関わらなくていいのですが近い関係だと違います。

そうなると段々と自分を守りたいという自分中心の考えになるのです。

そして多くの場合、距離をとるという方法を採用してしまいます。

物理的な距離と比例して、心の距離も離れてしまうのです。

 

 

自分の本音を見つけるシンプルな方法

 

自分の本音が言えないという人は多いと思います。

では自分の本音とは何なのかと自分を見つめたことはありますか?

たとえば先ほどの「ありがとう」が言いにくい場合だと、

 

  • 反応の薄い相手の態度
  • からかってきた相手の態度

 

つまりそのときの相手が示した態度や反応から、

自分がその瞬間にどう反応したかで自分の本音が見えるのです。

少し分かりにくいかもしれないのでもっとシンプルに言います。

 

自分の本音を見つけるシンプルな方法:

  1. あなたの嫌いと感じる人は、どこが嫌なのでしょうか?
  2. あなたが罪悪感を抱いた人は、どんなことをしたからでしょうか?

 

実は自分が嫌いと感じる人の特徴と、

罪悪感を抱いた人というのは共通しているのです。

誰かに冷たい態度をとられてムカッときてしまったけど、

あなた自身がどこかで冷たい態度をとっていないでしょうか?

 

 

本音とは他人に向けることではない

 

人は自分が傷つけられたら、

 

同じ方法で他人を傷つけてしまうものです。

 

僕はこれを家族の間で何度も何度も嫌というほど見てきました。

 

「なんで嫌っている人間と同じ行動をとっているんだろう?」

 

それは、そもそも自分が本来持っているものだったからです。

嫌えば嫌うほど同時に自分を否定していることになります。

だからと言ってあきらめる必要なんてまったくありません。

 

「なんで自分はここで嫌だと感じるんだろう?」

 

こうしてそのときの感情に疑問を持つだけです。

非常にシンプルなのですが問題は感情に流されてしまうことなのです。

工場で良品と不良品を淡々と分けるように、

 

感情的になったとしても意識で分けるだけで十分です。

 

自分の本音が言えないと悩む人は多いですが、

自分の本音とは他人に向けることではなく、

絶えず日常の中で自分の感情を見つめることにあります。

なので間違っても単に感情表現するということではありません。

 

  • 自分が怖れているものは何か?
  • 自分がつい見栄を張りたがっているのは何か?
  • 本当はどうしたら心から満たされるだろうか?

 

このように自問した先に心の中心に戻っていき、

冷静になりつつも本音が語っていけるようになるんだと思います。

 

自分の本音に素直に生きれることを祈っています。

 

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