買ってみたけどあまり必要ではなかった・・・
あなたも買って損をした経験が一度でもあるのではないでしょうか。
無駄を省いた簡素な暮らしができればお金も節約できるので、
将来の不安を解消するための自己投資もできます。
戦後から物の大量生産の時代がはじまり、
日本は凄い勢いで経済成長を遂げて豊かになっていきました。
量だけでなく品質も各企業が競って高めてくれたお陰で、
僕達の生活は昔とは比べものにならないほど便利になりました。
だけど一人ひとりの生活を除いてみると、
僕達はいつもお金がないと嘆いてしまうことが多いです。
バブル景気と比べると給料や雇用の保証が崩壊してしまい、
不景気な世の中がいけないんだと思ってしまいがちですが、
今、僕達は物との関わり方の見直しが問われているのです。
それは根性とか努力とか逃げるヤツは弱いとか言われて、
精神的にも将来的にも不安な会社に居続けるのと同じです。
時代は刻々と変わって過去の常識が通用しなくなっているのに、
考え方はバブルが弾ける前のままになっているのです。
それと同じように物との関わり方も考える必要があります。
僕達は年齢を重ねていくので現状維持ということはありません。
過去のいつより今が楽しく感じれるように一緒に考えてみませんか?
(前回は、日々丁寧に自分らしくあるために知っておきたい5つのことにて、
今のままでは将来に不安があるけどお金も知識もなくて何もできない場合、
日常生活から見つめることで自分らしく生きる方法についてお伝えしました。)
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1、「簡素」と「質素」の違い
あなたは「簡素」と「質素」の違いが分かりますか?
質素とは質素倹約ということわざがあるように、
無駄遣いをせず節約を心がけて慎ましく生活することですね。
では簡素とはどのような意味になるのでしょう。
簡素とは無駄がないという意味ですが、
一切の無駄のない生活なんて送りたいと思いますか?
僕達は僧侶のような洗練された生活を送ることは困難です。
なぜならどんな人でも物欲には逆らえないからです。
そうなると物欲とうまく付き合っていく方が楽なのです。
簡素な暮らしとは心からそれが欲しいと望むのなら、
たとえ高価な物であっても手に入れるべきということです。
なぜなら感じることと値段とは違いがあるからです。
たとえば僕の使っている椅子はあぐらもかけない小さなものですが、
それは楽をしたいのではなく仕事に使うための椅子だからです。
良い仕事を行うためだったので値段のことは気にしてませんでした。
実際には5千円程度でしたが仮に1万円でも買っていたと思います。
簡素な暮らしとは本当に必要だと思う物にはお金を使うことです。
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2、将来が不安なら今を見つめる
僕達はいつだって将来に不安を感じます。
どんな成功者だって不安を抱えて生きています。
なので本来は人間に優劣というものはないのです。
目で見るカタチは違っても心のメカニズムに変わりはないからです。
そして不安に感じることになんの意味もありません。
さらに言うと不安の9割は実現することはありません。
このことからも不安に踊らされるなんて馬鹿げてると思いませんか?
だけど僕達はどうしても不安に感じてしまうものですね。
先の不安を感じることに対する解消法はシンプルです。
それは今の自分にできることをやっていくだけです。
もし仮にできることが分からないなら、
もっとハードルを下げてできることから考えるのです。
どんなにレベルが低くても人間はできることしかできないので、
今の自分にできることから淡々と積み重ねることが大切です。
言葉にすると非常にシンプルなのですが、
だけど何かをしてるときって不安に感じないことがありすよね。
たとえば仕事や趣味に没頭する時間は不安を忘れられますね。
ただ仕事や趣味に没頭しても具体的に将来を変えれるわけではないので、
自分の生き方を変えられることでできることをやるのが大切です。
そうすることで不安を解消するためだけに、
お金を使って不要な物を買ってしまうこともなくなります。
本当に必要な物だけを厳選する簡素な暮らしができるのです。
3、自分の中の「見栄」と「怖れ」を知る
僕達はついつい見栄を張りたいために高価な物を買ったり、
他人の目を気にして本当は欲しくない物を買ったりします。
あなたもこのようなことに心当たりがありませんか?
だけど大切なのは見栄も恐れも否定しないことです。
なぜならそれらも自分の大切な一部分だからです。
人の身体の機能に無駄なものは一切ありません。
必ず必要だからこそ備わっているのです。
あなたは自分の話を聞いてくれない人に好印象なんて持たないですよね。
それと同じように見栄や恐れの感情を否定すると磁石のように反発します。
自分の中にそんな一面があるんだということを素直に認めることで、
じゃあ本当はどうしたいのかを見つめる姿勢ができます。
見栄や恐れと向き合わないからこそ、
要らない物があふれた心の乱れた生活になってしまうのです。
まずは自分の中のネガティブな感情を認めることからはじめましょう。
4、ダメな自分を受けれる
ダメな自分を受け入れるとはどういうことでしょう。
言葉では非常に簡単すぎて軽く感じられてしまいますが、
自分を受け入れるというのにはたくさんの深い意味があります。
あなたにも何かを継続できなかった経験があると思います。
ジムに通う、ランニング、ダイエット、貯金に節約・・・
僕自身、数えられないくらい継続できなかった経験があります。
その継続できなくなる瞬間って「ダメだ!」ってなりませんか?
ダメだと思わなかったら今でも続いているはずですね。
ダメだとあきらめるから本当にダメになるのです。
そこからダメな自分だからと生活自体も乱れてしまい、
気持ちの乱れがそのまま物にあふれた乱れた生活になるのです。
このようにして悪循環を生んでしまうのは嫌ですね。
だからこそダメな自分を受け入れることが大切なのです。
それは何も一生懸命に受け入れようなんて思う必要はありません。
「ま、いいか」ていう程度でも全然かまわないのです。
なぜならダメだと思っているときは深刻になるからです。
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5、心から満たせることを判断基準に持つ
他人からどう見られるかを基準にするのではなく、
心から満たせる気持ちを基準に判断することです。
たとえばその基準のひとつに幸せというものがありますね。
僕は20代の頃は車が好きだったので、
カッコよく見られるという理由で中古の高級車を乗ってました。
またカッコ悪い自分は嫌だという理由でブランドを身に付けてました。
振り返ってみると何にも残っていないのです。
だけど10年以上も昔なのに亡くなった母親の墓に、
はじめて華を購入して墓に添えた日のことは今でも覚えています。
たった数百円でしたが心が満たされた感じがあったのです。
それ以来から自分の守っているものを手放すことは、
意外と清々しいものなんだと気づきました。
そうやって手放しいくことで本当に必要なものが分かり、
好きな物に囲まれた幸せな簡素な暮らしができるのだと思います。
簡素な暮らしは物欲とうまく共存すること
物欲は生きている限りはなくなることはありません。
なのでうまく共存していくことが大切です。
だけど欲しいと思ってしまうと頭から離れられなくなりますね。
僕も欲しいと思ったら完全に心が奪われてました。
それ以外の選択は頭にはなくなってしまうのです。
本当に必要な物というのはほとんどありません。
僕達の生活の9割は捨ててしまっても生活できると言われています。
実際に僕も2011年には9割捨てたのでそうだと思います。
そして本当に欲しいと思ったとしても、
その1割程度が心から納得できるものではないでしょうか。
残りの9割は買って満足するだけではないでしょうか。
だからと言ってあまりシビアになる必要はありません。
- 幸せそうに見られたい
- カッコよく見られたい
- できる人賢い人に見られたい
こうした基準で自分を偽っていないか、
無理してやろうとしていないかと自分を見つめ、
少しずつ自分を知っていきましょう。
簡素な暮らしができることを祈っています。
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