シンプルライフとは不要なものを処分して
すっきりと快適に暮らすことです。
それは、
常日頃からの習慣によって成り立つものです。
部屋の掃除を自分の心と向き合うために行います。
ですが、
人を招くときにだけ部屋を掃除をする人がいます。
常に部屋をきれいにしているかのように見せるのです。
確かに汚いままの部屋に招くよりはマシなのかもしれません。
自分を偽るのをやめたい。
もし、あなたがこのように思うなら考え方を改める必要がありそうです。
なぜならば、
人を招くときにだけ部屋を掃除するということは、
自分に仮面をつける
ということになるからです。
これこそが自分を偽っている行為です。
仮面をつけ続けるとどうなるか分かりますか?
その心は標準化してしまい、
おそらく二度ともとの自分に戻ることは不可能なのかもしれません。
__今の僕がそうなってしまったように
(前回の記事、断捨離で運気UP-なぜ「捨てる」ことで心が軽くなるのか?)
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無理に役割を演じることはない
あなたは、
家族ではどのような立場ですか?
会社ではどのような立場ですか?
友人との関係ではどのような立場ですか?
趣味の仲間や習い事での立場は?
僕たちはそれぞれの環境においてそれぞれの役割を無意識に演じています。
それはごく自然なことのようです。
それ自体はなんの問題もなく、
ごく当たり前なことなので気にする必要はありません。
しかし、
そこに問題が生じてしまい、
生きることそのものが苦しくなってしまうことがあるようです。
父親とはこうあるべきだ!
リーダーとはこうあるべきだ!
もういい歳なんだから!
もう子供じゃないんだから!
このように自分の行動に過剰に制限が加わっている場合、
生きることが苦しくなってしまうようです。
あなたは自分の心が鎖でがんじがらめになっていませんか?
いつの間にか備わってしまった外部の環境からの「常識」にとらわれ。
自分の中にある「こうあるべき」という固定観念。
僕たちは自ら制限を掛けていることにまず気づくことが必要です。
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演じる理由は「恐れ」
ではなぜそんなに苦しくなってまで
自分を偽って演じてしまうのでしょうか。
それは、
強い人間を演じることで自分を守り、なめられることを「恐れ」ているから
威厳ある人間を演じることで自分を守り、批判されることを「恐れ」ているから
しっかりしなければいけないと、
責任感の強い人ほど過剰な役割を演じてしまうのかもしれません。
弱さを見せないから過剰に演じる必要があるようです。
弱さを見せることを素直になると言い換えることができます。
素直になれないと罪悪感から人に遠慮してしまうのかもしれません。
それは無意識に行われることなので自分に自覚がないことが多いようです。
たとえ失敗したとしても、
たとえ自分の弱さが露呈したとしても、
そこから這い上がる姿こそ感動するもの。
目に見える会社での役職や家族や友人同士の役割も、
そこを越えて一人の「個」としてみることができると、
そこには立場を越えた「対等」な世界が広がっていると思います。
それこそ成長の証だと思います。
人生、望むように生きたい
15歳のとき、
家族の誰とも一切の会話を断ち、
性格を180度変えてしまいました。
そこから長い年月は掛かりましたが、
ある心理学のセミナーで、
「自分の感じたことを話せばいい」
このことが自分の心にグサリと刺さっていらい、
それを軸として今を生きるようになって、
これからもこの信念を生涯貫くと誓いました。
やはり頭で一生懸命に、
「何を話そう」
と、焦りながら狭い頭の中から
一生懸命に絞り出すような会話より、
「別に会話なんてはずまなくていいや」
と、うまくいくことへの「執着」を手放すことの方が、
とても気楽でうまくいくと実感しています。
自分を偽るのをやめたい
そして、
人に遠慮せずに楽に生きるには?
その答えは、
ただ自分の感じたことを素直に話せばいい。
そのように思います。
あなたの人生が自分らしく生きれることを心より祈っています。
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